このブログの著者ついて

スポーツメンタルコーチ 鈴木颯人プロフィール

わたしのプロフィールをご紹介させていただきます。お読みいただけると嬉しいです!
私は、東京で月に2回様々な競技で活躍するアスリートに向けた講座・セミナー、またアスリートを育成するスポーツメンタルコーチ養成セミナーを開催しています。

 

そこで、「脳科学」や「心理学」などの「スポーツ科学」を交えたメンタルコーチングについてお伝えしております。
また、アスリートを対象に年間で500回を越える1対1の

メンタルコーチングを開催しています。

 

プロで活躍する野球、サッカー選手。

オリンピックを目指す水泳、卓球、柔道、フェンシングなどの

トップアスリートを中心にサポートしております。

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

幼少期~現在、そして…

 

私は、フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。

生まれた国はイギリス。当時から国際色豊かな環境で育って来ました。
1歳になる頃には、日本に移住しました。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

幼少の頃の記憶なんてありませんが、

ひとつだけ覚えていることがあります。

日本語をまったく喋れなかったこと。
それが原因で喧嘩する事が多々あったこと。

「自分の思いを言葉で伝えられない・・・」

その思いを必死でジェスチャーで伝えていた自分だけは覚えています。

そんな自分が初めて気持を表現出来た場所が『野球』でした。
スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

言葉以上に実力があれば全てを伝えられる…
『俺は、野球さえ出来ればいい!』と本気で思っていました。

それくらい必死で、打ち込みました。

 

左投げで長身から繰り出されるピッチングで
次第に地区を代表する投手となりました。

小学校時に地区大会で優勝。
中学校時に全国選抜大会への出場。
そして甲子園に出場するような強豪高校にスポーツ推薦で入学しました。

 

『高校で大活躍してプロになるんだ!』
と本気で思って入学しました。

けど現実はそう甘いものではありませんでした。

度重なる腰や膝の怪我もあって思うようなピッチングが出来なくなりました…。
次第に野球がまったく楽しめなくなりました…。

『俺の高校野球はこれでいいのか…
1度も背番号すらもらえていないじゃないか!』

焦る気持と不安な気持が入り交じる時間を2年生の秋に感じていました。

そこで決断しました。

ピッチャーを引退し、野手になる事を。
監督には何度もダメだと断られました…。

けど、受け入れてもらえるまで何度も頭を下げました…。

そこまでして野手になりたかった…。

そして野手になってからは野球を楽しむ本来の目的を思い出しました。
練習にも今まで以上に打ち込みました。
スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

 

そして3年の夏。

2軍戦では4番を任されるようになりました。
打率も3割以上残してきました。
それでも1軍に呼ばれない日が続きました。

 

「どうして1軍の試合に出れないんだよ・・・」
「もっと練習をしないといけないのか・・・」

 

それでも最後の最後まで諦めずに頑張ろうと思っていました。
けど、監督は既にお気に入りの選手ばかりを優遇する方でした。

1軍にいる選手と2軍にいる選手に対する接し方が明らかに違いました。
見放されている感覚が強くなるくらい差別されている感覚を味わいました。

結果よりも選手の才能の善し悪しで判断しているのを凄く感じました。

 

でも諦めたくなかった。
必死にくらいつきました。
そして、1軍にも帯同出来るようになりました。

それなのに、
『お前はいらん…出て行け!』

 

監督からのこの一言で、
自分の中で築き上げて来た努力が一気に崩れて行ったのを覚えています。
メンバー発表1週間前の出来事でした。
スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

その次の日に、初めて部活をサボりました。

悔しさや怒りなどを通り越した無気力状態…
チームも早々と負けてしまいました。

みんなが泣いている中で
『なんで泣いているんだよ?こんな結果じゃ泣けねーよ。』
と本気で言いました。

それくらい辛くて悔しい高校3年の夏を過ごしました。

 

でももし、あの時に、
自分の思いを吐き出せる場所」「自分の思いをしっかりと語れる場所
があれば結果は変わったのかもしれない…

どうやって毎日を過ごせば良いのか解らなかったあの時期。
導いてくれる存在」がいてくれたら?
僕の高校時代は変わったのかもしれないと今でも思っています。

 

この経験が「スポーツメンタルコーチ」として
アスリートのメンタルのサポートをしたいと思った最大の理由です。

 

けど、そんな仕事を志すまでには少し時間がかかりました。
高校卒業後、まだまだ心の傷が癒えなかった僕は取り敢えず大学に進学しました。

 

そして「本当にやりたい事」を模索する為に様々な夢を追いかけました。
まずはパイロットを目指す事に。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成
パイロットは僕が幼少の頃に抱いていた夢でした。
高校の卒業旅行で沖縄を訪れる際に使った飛行機で当時の夢を思い出しました。
とにかく何かを目指さないといけないと思ってました。
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大学3年の冬にイギリスに留学しました。
当時から英語は全く出来ませんでした。

TOEICのスコアが260…

帰国後に800まで伸ばすも全ての採用試験で不合格。
人生で2度目の挫折でした。

それでも諦めきれずに空港の仕事に就きながら夢を追いかけました。
その仕事が旅客サポートでした。

身体障害者や特別な介助が必要なお客様も飛行機内にご案内したり、

出口までご案内するサービス要員でした。

 

最初はパイロットになる為の勉強期間だと思っていました。
あまり真剣に仕事と向き合う事はありませんでした。

けど、「本物のパイロットならこの仕事をどう取り組むのか?」
自問する事で本気でこの仕事と向き合えるようになりました。
「一人一人のお客様に真心を持って接する大切さ」
「感謝される喜びを肌で感じる事が出来ました」
「チームで働く素晴らしさ」
「接遇の楽しさ」

 

を肌で感じる事が出来ました。

すると次第にお客様からお手紙を頂くようになりました。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

 

「鈴木さんのあたたかさに触れて、とても嬉しくなりました。本当にありがとうございました。」
「鈴木さんのお陰でまた祖父を旅行に連れて行きたいと思いました!またANAを利用させて頂きます!」
「入社2年目という事でしたが、仕事になれてくる頃になっても乗客1人ひとりに丁寧に接している姿に関心しました。私は今でも仕事で初心を忘れそうなときは、鈴木さんを思い出し、態度を改めるように心掛けています。どのような状況でも患者様に優しく丁寧に接する事が出来るスタッフになれるように努力します」

 

こんな嬉しい手紙をもらい続けるうちに、こう思うようになりました・・・。

『パイロットよりもこの仕事が向いているじゃないか?』

 

そうおもった矢先、2009年にJALが経営破綻…。

その煽りを受けるかのように僕がいた事業部がリストラの対象に…。
わずか2年で退職をする事になりました。

 

しかし、この経験のおかげで、

『人の幸せに貢献する仕事』が
自分には合っていると心から思うようになりました。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

 

そして、それを具現化が出来る仕事を探しました。
しかし、就職難もあり転職するまで9ヶ月も掛かりました。

 

まずは「人の幸せに貢献出来る仕事」を探しました。
ハローワークに通って何万件もある仕事を調べ尽くしました。

それでも全く自分にフィットするような仕事が思い当たりませんでした…

そこで私は東京都が行っている失業者の為の職業訓練校に通う事にしました。

そこでビジネスマネジメントについて学びました。

そして、人材紹介に登録しました。
キャリアカウンセラーの方に見いだされた
「人の幸せに貢献する」という自分の思いを形にする仕事。

 

それは、「学習塾のスクールマネージャー」でした。

正直、自分の気持ちは「違うな」と感じていました。

しかし、既に仕事を探し始めて9か月。
カウンセラーの方から勧められるし…。
家族からも合っていると言われるし…。

何よりもこの失業状態をずっと続けたくないと思いました。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

 

そして大手学習塾に入社しました。
そこで待っていたのは地獄でした。

200人以上の生徒とそのご両親を社員2名でマネジメントする状況…。

毎晩終電で帰宅…。
休みもない毎日…。
何よりも生徒一人一人に向き合えない日々がとても辛かったです…。
そして入社3ヶ月目で『抑うつ』という精神病になりました。

昼夜逆転の生活・・・
無気力感と焦り・・・
眠りたくても眠れない状況・・・

 

その11日後に東北大震災が発生しました。

医者から処方された薬は飲めませんでした。
『うつ病を認めたくない…』と強く思っている自分がいました。

そこで脳科学や心理学を必死に学びだしました。

うつ病を薬以外の方法で治す為でした。

「セロトニンを出す為に走れば良い!」

そんな事をして3ヶ月・・・
病状は回復していきました。

夜の11時には眠る事が出来るようになりました。
朝も早く起きる事が出来るようになりました。
気付いたら自然と鬱は改善され、病院に行く事も無くなりました。

 

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同時に自分の将来も真剣に見つめ直しました。

『人の幸せに貢献する』為に
もっと人と向きあえる仕事は無いかと模索するようになりました。
そして「キャリアカウンセラー」という仕事を見つけました。

さらに、より人の将来と向き合える「コーチング」という職業に
出会う事が出来ました。

キャリアカウンセラーという仕事は、仕事探しのアドバイザー的な存在です。

コーチングは「自分の夢や目標を達成する上で何が必要なのか?」
自分で考え、行動する事で夢や目標に導いていく存在です。

 

前職のスクールマネージャー時代に
1対1で向き合えない仕事が本当に嫌でした。

人とトコトン向きあう仕事がないかと思い
「キャリアカウンセラー」や「コーチング」の仕事に興味を持つようになりました。
そこで様々な事を学ぶ中で
独自のコーチングを理論を
確立する事が出来ました。
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その後、いきなり独立するだけのお金も無かったので、
就職しようと思いました。
キャリアカウンセラーの仕事に近いコーディネイター職に応募しました。

その面接時に営業職での適性を見いだされ
「人材派遣の営業」もする事になりました。

入社1ヶ月目で初受注を記録しました。
半年後には売上目標300%を達成しました。
その年の年間売上が200%を達成しました。

 

営業という仕事はコミュニケーションの仕事だと思っています。
コーチングで学んだコミュニケーションの基本が、
好結果に結びついたのだと思います。

 

その仕事をする傍ら、週末だけコーチングをする日々が2年程続きました。

そして2013年10月に
スポーツメンタルコーチとして完全に独立する事になりました。
独立当時はまだ5人程だったクライアントさんも
今では30名を超えるまでになりました。
スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

1月からサポートしている柔道の大住選手が
3ヶ月後に日本一になりました。
1年前からサポートしていた国学院大野球部の山下選手が
2014年プロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズに指名されました。

それ以外にも、
たったの1回の個別セッション
自己ベストを更新した長距離ランナーや
国際大会で初めて準優勝になった卓球選手。

 

まだ3年ですが徐々に結果が出始めました。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

僕が高校時代に求めていた
『自分の思いを吐き出せる場所、自分の思いをしっかりと語れる場所』。

今後は「誰にでも話せる場所、誰にでも聞いてあげられる場所」を作りたい。

 

そして、目標に対して一切の迷いが無い人。
結果を恐れない人。
何よりもスポーツ本来の楽しむ喜びを感じられる人を増やしたいと思っています。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

 

その為にどんな選手でも気軽に話し合える
スポーツカフェを作りたいと思っています。

スポーツメンタルコーチングをより理解してもらう為に資格講座を開催します。

自分以外の人でも、アスリートのメンタルを向上できる人を
もっとこの世の中に輩出して行きたいです。

 

サッカーや野球、バレーなど団体競技などのチーム向けに
グループメンタルコーチングを全国でも行いたいと思っています。

そしてスポーツを通じて『人の幸せに貢献』出来る環境を整えて行きたいです。

 

スポーツメンタルコーチ鈴木颯人,トップアスリート育成

夢は『全ての人が自分の可能性に従って生きていける社会』を創ることです。

 

スポーツでしか伝えられない無限の可能性
スポーツでしか伝えられない限界突破の瞬間
スポーツでしか伝えられない人との繋がりの素晴らしさ
未来への可能性を歩むキッカケを作れる
アスリートを1人でも多くサポートしていきたいです。
最後までお読み頂きありがとうございます。

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